学校に行きたくない日
2012.05.14
ウグイスの声が聞こえる。気持ちのいい日だ。
先日、Mimiの同級生の男の子のお母さんと話をしていた時に、「子どもの成長を感じる瞬間」の話になった。他の人にとっては、何でもないことでも、親にとっては、「あ、大きくなったな~」って思わされる出来事がある。
一番最近のそういう瞬間は、4月のある朝だった。「行ってきま~す」と学校へ出かけていくMimiを、その日はまだ家にいたおっさんと2人で玄関で見送った。玄関から門までの数メートルを、足取りも軽やかに歩くMimiの後ろ姿を見ながら、おっさんと私は同時に「大きくなったね~」と顔を見合わせた。私達の頭にあったのは、赤いリュックを背負い、帽子、またはフードを目深にかぶり、とぼとぼと歩く小学生のMimiの後ろ姿だ。
Mimiは、1年生から4年生くらいまで、時々学校に行きたくない日があった。登校班の集合場所まで行っても、また家に帰ってきてしまう日もあった。小学校は、幼稚園に行く途中にあるので、Mimiが1,2年生の時は、Deeの登園のついでに、Mimiを学校まで連れて行っていた。3年生からは、おっさんが一緒に行ったり、Jojoをベビーカーに乗せて、私が散歩がてら行ったり。たいていの日は、朝の会が始まるまでには登校していたし、学校に着いてしまえば、とっても楽しいのだけれど、その道のりが遠い日があったのだ。
3年生の時以外は、担任の先生にも本当に恵まれていたし、Mimi自身も先生が大好きだった。また、男女問わず、友達もたくさんいた。クラスの中でも、色々積極的に活動していたし、明るく過ごしていたようだ。学校の前を通ったら、Mimiが教えたおっさんの母国語の歌を、女の子達が輪になってキャーキャー言いながら歌っている声が聞こえたこともある。帰ってくる時は、ニコニコ元気に友達と大声で話しながら、ゲラゲラ笑いながら帰ってくる。それなのに、なぜか行きたくないのだ。いや、行きたいのだけれど、行きたくない。そしてそれは、行けないというのでもなかった。私が「じゃ、一緒に行こうか」と言って、それでも登校を渋ったことはないからだ。
3年と5年の時は、行きたくない理由が、明確だった。5年生の時は、夏休み中に、大好きだった担任の先生が急遽教頭に昇進という出来事があり、2学期からは、新任の先生が担任になった。途中から、しかも5年生という学年を持った先生の苦労は計り知れないが、Mimiはとにかく、よく先生と真正面からぶつかっていた。5年生なので、私が送っていくことはなかったが、それでも登校班とは行かずに一人で登校する日はあったし、何よりも保健室には頻繁に行っていた。
余談だが、その先生を話題にするのもイヤと言うほどだったMimiが、数ヶ月前にふと、「今考えたら、あの先生の事、別に嫌いじゃなかったわ」と言ったので、よく相談にのってもらっていた旧担任の教頭先生と、「成長した」と喜び合った。
中学に入り1,2年の時は、1~2分のことなのだが、朝の点呼に遅刻することが何度かあった。そうすると、いないということで、保健室から「今日は、どうされましたか?」と電話が家にかかってくる。どうしたもこうしたも、Mimiは中学校が楽しいんだけど、楽しくなくて、行きたいんだけど、行きたくないから、遅刻しちゃう~なんてことは言わなかったけれど、保健の先生には、手間をかけてしまい申し訳なかった。
そのMimiが、中3になってからは、人が変わったように(反抗期も抜けた模様。バンザ~イ!)、朝から元気で、前述の通り、スキップでもしかねないぐらいの勢いで、学校に出かけていくのだ。そりゃあ、嫌な事もあるだろうし、理不尽に思う事もあるだろう。疲れてる日もあるだろう。でも、それを自分でうまく処理できるようになったんだと思う。
私のスタンスはこの9年間(幼稚園も入れると11年間)変わらない。学校は行ったら楽しいことがたくさんあると思うけど、行きたくないなら無理して行かなくてもいい。それは、Mimiにもずっと言ってきた。その上で、「一緒に行ってあげるから行こうか」と明るく誘ってきた。実際に、休んだ日も何度かあるけれど、それはそれでいいと思った。様々な理由で学校に行けなくなってしまう子もいるけれど、そうじゃない子でも、学校に行きたくない時もある。学校が全てではないと思うからこそ、親として、少し気楽に構えることができたんだと思う。そして、今までずっと、Mimiの周りに、いい友達と、私のことまでサポートしてくれる先生達がいたことも大きかった。
学校が、たくさんの子どもにとって、「行きたくなる場所」であればいいなと思う。
今日の祈り:モンテネグロ(ヨーロッパ南東部・バルカン半島)の母子のために
モンテネグロの5歳未満児死亡率は1000人当たり9人(Wikiprogress 2009)
先日、Mimiの同級生の男の子のお母さんと話をしていた時に、「子どもの成長を感じる瞬間」の話になった。他の人にとっては、何でもないことでも、親にとっては、「あ、大きくなったな~」って思わされる出来事がある。
一番最近のそういう瞬間は、4月のある朝だった。「行ってきま~す」と学校へ出かけていくMimiを、その日はまだ家にいたおっさんと2人で玄関で見送った。玄関から門までの数メートルを、足取りも軽やかに歩くMimiの後ろ姿を見ながら、おっさんと私は同時に「大きくなったね~」と顔を見合わせた。私達の頭にあったのは、赤いリュックを背負い、帽子、またはフードを目深にかぶり、とぼとぼと歩く小学生のMimiの後ろ姿だ。
Mimiは、1年生から4年生くらいまで、時々学校に行きたくない日があった。登校班の集合場所まで行っても、また家に帰ってきてしまう日もあった。小学校は、幼稚園に行く途中にあるので、Mimiが1,2年生の時は、Deeの登園のついでに、Mimiを学校まで連れて行っていた。3年生からは、おっさんが一緒に行ったり、Jojoをベビーカーに乗せて、私が散歩がてら行ったり。たいていの日は、朝の会が始まるまでには登校していたし、学校に着いてしまえば、とっても楽しいのだけれど、その道のりが遠い日があったのだ。
3年生の時以外は、担任の先生にも本当に恵まれていたし、Mimi自身も先生が大好きだった。また、男女問わず、友達もたくさんいた。クラスの中でも、色々積極的に活動していたし、明るく過ごしていたようだ。学校の前を通ったら、Mimiが教えたおっさんの母国語の歌を、女の子達が輪になってキャーキャー言いながら歌っている声が聞こえたこともある。帰ってくる時は、ニコニコ元気に友達と大声で話しながら、ゲラゲラ笑いながら帰ってくる。それなのに、なぜか行きたくないのだ。いや、行きたいのだけれど、行きたくない。そしてそれは、行けないというのでもなかった。私が「じゃ、一緒に行こうか」と言って、それでも登校を渋ったことはないからだ。
3年と5年の時は、行きたくない理由が、明確だった。5年生の時は、夏休み中に、大好きだった担任の先生が急遽教頭に昇進という出来事があり、2学期からは、新任の先生が担任になった。途中から、しかも5年生という学年を持った先生の苦労は計り知れないが、Mimiはとにかく、よく先生と真正面からぶつかっていた。5年生なので、私が送っていくことはなかったが、それでも登校班とは行かずに一人で登校する日はあったし、何よりも保健室には頻繁に行っていた。
余談だが、その先生を話題にするのもイヤと言うほどだったMimiが、数ヶ月前にふと、「今考えたら、あの先生の事、別に嫌いじゃなかったわ」と言ったので、よく相談にのってもらっていた旧担任の教頭先生と、「成長した」と喜び合った。
中学に入り1,2年の時は、1~2分のことなのだが、朝の点呼に遅刻することが何度かあった。そうすると、いないということで、保健室から「今日は、どうされましたか?」と電話が家にかかってくる。どうしたもこうしたも、Mimiは中学校が楽しいんだけど、楽しくなくて、行きたいんだけど、行きたくないから、遅刻しちゃう~なんてことは言わなかったけれど、保健の先生には、手間をかけてしまい申し訳なかった。
そのMimiが、中3になってからは、人が変わったように(反抗期も抜けた模様。バンザ~イ!)、朝から元気で、前述の通り、スキップでもしかねないぐらいの勢いで、学校に出かけていくのだ。そりゃあ、嫌な事もあるだろうし、理不尽に思う事もあるだろう。疲れてる日もあるだろう。でも、それを自分でうまく処理できるようになったんだと思う。
私のスタンスはこの9年間(幼稚園も入れると11年間)変わらない。学校は行ったら楽しいことがたくさんあると思うけど、行きたくないなら無理して行かなくてもいい。それは、Mimiにもずっと言ってきた。その上で、「一緒に行ってあげるから行こうか」と明るく誘ってきた。実際に、休んだ日も何度かあるけれど、それはそれでいいと思った。様々な理由で学校に行けなくなってしまう子もいるけれど、そうじゃない子でも、学校に行きたくない時もある。学校が全てではないと思うからこそ、親として、少し気楽に構えることができたんだと思う。そして、今までずっと、Mimiの周りに、いい友達と、私のことまでサポートしてくれる先生達がいたことも大きかった。
学校が、たくさんの子どもにとって、「行きたくなる場所」であればいいなと思う。
今日の祈り:モンテネグロ(ヨーロッパ南東部・バルカン半島)の母子のために
モンテネグロの5歳未満児死亡率は1000人当たり9人(Wikiprogress 2009)
子どもは3人
2012.05.09
今は晴れ さっきは雨とか曇り 20度
この前、Jojoと図書館に行った時に、何気なく手にとって、そして一気に読んでしまった児童書がこれだ。
愛という6年生の女の子が主人公で、現在は、とーさんとかーさん、そして高3の兄の4人家族。「現在は」というのは、とーさんとかーさんが里親(何らかの事情で親と一緒に暮らせない子どもを、養子縁組をせずに育てている人)で、これまで色んな子どもを里子として迎え入れてきたからだ。そして、愛と兄もそれぞれ別のルーツを持つ里子なのである。
私は、初めから子どもは3人欲しいと思っていたから、MimiとDeeの間には、1年9カ月しかあいていない。生理不順で、排卵がうまくいっていないかもしれないと、医者に言われていたのに、続けさまに子どもが与えられたので、3人目もすぐだと思っていた。ことさら、妊娠しようと努力したわけではないが、自然に任せて、神様に委ねていたら、Jojoが生まれたのは6年後である。その妊娠までの5年ちょっとの「待ち期間」の間、何度かおっさんと養子を迎える話をした。私達にとっては、「子どもが3人」というのは、「私が3人産む」という意味では必ずしもなかったからだ。
アメリカや、おっさんの母国では、養子を迎えることは、割と一般的だ。親とは違う人種や、他の国から養子を迎える人もたくさんいる。(一般的だからと言って、問題が無いわけではないが、養子でなくても「家族の問題」というのは、どこででも発生する。)おっさんのいとこにも、アジアの国から養子として迎えられた人がいるし、友達にも、自身が養子だとか、きょうだいが養子だという人がたくさんいる。また、実子と養子の他に、更に里子を受け入れている友達夫婦や、私とおっさんの大学の恩師のように、結婚した時に、子どもは産まずに養子を迎えると決めて、7人の子どもを育てた人もいる。反対に、親が、育てることはできないけれど、子どもを養子に出すことを拒んだために、里子として、色んな家庭を渡り歩いて育ったという人も知っている。
「愛の家」にも書いてあるが、日本では、親と一緒に住めない子どもの大多数が施設で育つ。里親や、養子に迎えるという選択をした人を何人か知っているが、数は少ない。
私は、「待ち期間中」におっさんと話をする中で、公的機関や民間のグループに、養子を迎えることについて、問い合わせをした。しかし、うちには既に実子が2人いたことがまずネック。(「お子さんいらっしゃるのに、なぜ?」と聞かれた・・・。)そして、公的機関を通すと、私達が希望していたように、生後すぐから養育することは、非常に困難であることがわかった。また、私達が国際結婚であることも、あまりプラスではないとほのめかされた。それならばと、海外から養子を迎えることに関してもリサーチしたが、こちらは何度か数週間にわたって、相手国に行かなければならず、あまり実際的ではなかった。
そうこうしているうちに、Jojoを妊娠したので、それ以上、話は進まなかった。そして、今、妹が欲しいJojoが「ママがもう産めないんだったら、アダプト(adopt 養子を迎える)すればいいやん」としょっちゅう言っている。養子を迎える=もう一人子どもを育てるのは無理でも、季節里親・週末里親のように、期間限定で同じ子どもを受け入れるのならいいかなと時々思うが、我が家は日本語の他にも2言語を家庭内で使用しているので、それも逆に難しい。
虐待されたり、ほおっておかれたり(ネグレクト)するよりは、安全に暮らせる施設にいたほうがいい。でも、子どもは、「私にとって、あなたは特別な存在」だと思ってくれる大人に愛されて、ケアされて、育つのが一番だと思う。血のつながりは関係なく。
今日の祈り:モンゴル(東アジア北部)の母子のために
モンゴルの5歳未満児死亡率は1000人当たり29人(Wikiprogress 2009)
この前、Jojoと図書館に行った時に、何気なく手にとって、そして一気に読んでしまった児童書がこれだ。
![]() | 愛の家 (2008/02) 大谷 美和子 商品詳細を見る |
愛という6年生の女の子が主人公で、現在は、とーさんとかーさん、そして高3の兄の4人家族。「現在は」というのは、とーさんとかーさんが里親(何らかの事情で親と一緒に暮らせない子どもを、養子縁組をせずに育てている人)で、これまで色んな子どもを里子として迎え入れてきたからだ。そして、愛と兄もそれぞれ別のルーツを持つ里子なのである。
私は、初めから子どもは3人欲しいと思っていたから、MimiとDeeの間には、1年9カ月しかあいていない。生理不順で、排卵がうまくいっていないかもしれないと、医者に言われていたのに、続けさまに子どもが与えられたので、3人目もすぐだと思っていた。ことさら、妊娠しようと努力したわけではないが、自然に任せて、神様に委ねていたら、Jojoが生まれたのは6年後である。その妊娠までの5年ちょっとの「待ち期間」の間、何度かおっさんと養子を迎える話をした。私達にとっては、「子どもが3人」というのは、「私が3人産む」という意味では必ずしもなかったからだ。
アメリカや、おっさんの母国では、養子を迎えることは、割と一般的だ。親とは違う人種や、他の国から養子を迎える人もたくさんいる。(一般的だからと言って、問題が無いわけではないが、養子でなくても「家族の問題」というのは、どこででも発生する。)おっさんのいとこにも、アジアの国から養子として迎えられた人がいるし、友達にも、自身が養子だとか、きょうだいが養子だという人がたくさんいる。また、実子と養子の他に、更に里子を受け入れている友達夫婦や、私とおっさんの大学の恩師のように、結婚した時に、子どもは産まずに養子を迎えると決めて、7人の子どもを育てた人もいる。反対に、親が、育てることはできないけれど、子どもを養子に出すことを拒んだために、里子として、色んな家庭を渡り歩いて育ったという人も知っている。
「愛の家」にも書いてあるが、日本では、親と一緒に住めない子どもの大多数が施設で育つ。里親や、養子に迎えるという選択をした人を何人か知っているが、数は少ない。
私は、「待ち期間中」におっさんと話をする中で、公的機関や民間のグループに、養子を迎えることについて、問い合わせをした。しかし、うちには既に実子が2人いたことがまずネック。(「お子さんいらっしゃるのに、なぜ?」と聞かれた・・・。)そして、公的機関を通すと、私達が希望していたように、生後すぐから養育することは、非常に困難であることがわかった。また、私達が国際結婚であることも、あまりプラスではないとほのめかされた。それならばと、海外から養子を迎えることに関してもリサーチしたが、こちらは何度か数週間にわたって、相手国に行かなければならず、あまり実際的ではなかった。
そうこうしているうちに、Jojoを妊娠したので、それ以上、話は進まなかった。そして、今、妹が欲しいJojoが「ママがもう産めないんだったら、アダプト(adopt 養子を迎える)すればいいやん」としょっちゅう言っている。養子を迎える=もう一人子どもを育てるのは無理でも、季節里親・週末里親のように、期間限定で同じ子どもを受け入れるのならいいかなと時々思うが、我が家は日本語の他にも2言語を家庭内で使用しているので、それも逆に難しい。
虐待されたり、ほおっておかれたり(ネグレクト)するよりは、安全に暮らせる施設にいたほうがいい。でも、子どもは、「私にとって、あなたは特別な存在」だと思ってくれる大人に愛されて、ケアされて、育つのが一番だと思う。血のつながりは関係なく。
今日の祈り:モンゴル(東アジア北部)の母子のために
モンゴルの5歳未満児死亡率は1000人当たり29人(Wikiprogress 2009)
クラブ活動
2012.05.01
曇り 22度
4日間あった、1年生仮入部の期間が終わり、5月から本入部だ。Deeの心は最初から決まっていたので、4日間ともバレー部へ。そして、Deeが勧誘(?)したおかげで、Deeの仲よしの子も数人入部を決めたので、楽しくなりそう。バレー部の先輩のお母さんから聞いた、「バレー部は朝練がない」というのも、私は嬉しかったりする。
私は、中学時代はコーラス部であった。なんせ、背が高いので、「えっ?コーラス部?」と今でもびっくりされるけど、小さい時から、歌って育ってきた私だから、自然な流れであった。本を読むことと、歌を歌うことは、私の人生には絶対に必要なものだった。中学の頃は、しょっちゅう家で、楽譜の代わりに本を置いて、読書をしつつ、自分でピアノ伴奏をしながら歌っていた。うちの学校のコーラス部は、激しく練習していたわけではないので、コンクールで入賞することも一度もなかったけど、みんなで合唱をする事は楽しかったなぁ。
さて、高校時代は何をしたか。バレーボール、バスケ、そして陸上。こんなに色々できたのは、アメリカの高校のクラブ活動がシーズン制だからだ。まず、秋の年度初めは、女子はバレーボールで男子はサッカー。冬は男女ともバスケで、春に陸上。私は、高1と高2の時は、バレーと陸上のみに参加したが、高3の時は、陸上のシーズンをベストコンディションで迎えるために、バスケもプレーした。
シーズン制では、日本の学校のように、高いレベルまで達することはないかもしれないが、色々なスポーツに取り組めるというメリットがある。そして、クラブ活動はあくまでも「課外活動」であり、「人生そのもの」ではない。もちろん、他校との試合や、トーナメントもあるので、強くなるために毎日練習するのは、日本のクラブと同じだけれど、それでも月~金の放課後1時間半くらい練習するだけ。土曜は、試合がなければ休みだったし、うちの学校はクリスチャンの学校だったので、日曜は完全に休みだった。それから、クラブが「課外活動」であるということは、それがメインではないということだから、メインの勉強ができていないと、課外活動には参加できない。
アメリカでは、GPA(Grade point average)という、特定の方式で算出された成績の値を使用している。オールAの場合はGPAが4.0で、そこからA⁻ B⁺と、細かく点数がつき、そこからGPAが算出される。うちの学校では、4週間ごとに、ある一定のGPA以上(2.6ぐらいだったような気がする)の成績の人の名前が貼り出された。そこに名前が載っていれば、クラブ活動ができるが、名前が載っていなければ、例えその人が、エースであっても、その先4週間はクラブ活動に参加できない。厳しい世界である。現に、アメリカの高校や大学のクラブ活動を題材にした映画では、成績ぎりぎりラインで、大事な試合に出られるかわからないというキャラクターが必ず1人はいる。
バレーは高3の時には、レギュラーだった。とは言っても、小さな学校だから、競争は激しくなかったけれど。私がつけていた背番号2番を、「来年はあなたがつけてね」と託した相手が、私の弟の妻である。あの時に、こんな展開になるとは、全く予想していなかった。
高3でバスケをした時は、面白かった。バスケ初心者の私は、当然のごとく試合ではベンチに座っている時間が長かったのだが、圧勝している時などには出してもらった。一度なんて、学校全員が観戦していたホームゲームの時に出場して、相手ゴール下から、ボールを奪取し、そのまま自陣までドリブルして、シュートを決めた。ド下手な私のシュートに、大歓声が上がり、監督はベンチで大笑い。私の短いバスケキャリアの栄光の瞬間である。
陸上では、メインは100m&300mのハードル。他には、試合で800mも何度か走ったし、2マイル(3200m)も一度だけ走ったことがある。あと、一度だけコーチに頼んで、試合で砲丸投げにも出たことがある。会場に行くと、身体が大きくて強そうな女子がたくさん集まっていた。うちの学校の砲丸投げの子が、結構強い子だったので、初めは私まで警戒されたのか、じろりとにらんでくる人もいた。でも、そんなことにはひるまず、「ねぇ、砲丸の持ち方とか、投げ方のコツとか教えて~」と周りの人に聞いていたら、色んな人が面白がって教えてくれて、私が投げた時には、声援を送ってくれた。みんなすごく遠くまで飛んでいたけど、私の投げた砲丸は、ほぼ足元に落ちたのは言うまでもない。それでも、「練習してれば、上手くなるよ!」と口々に励ましてくれた、他校の見知らぬ選手達。ブラボー、アメリカ!
陸上できつかったのは、練習の初めに全員走らされる1600mで、これはコーチがタイムを記録していて、前日よりタイムが1秒でも良くなっていなければ、もう一度1600m走らされるという非情な練習であった。それから、女子のタイム向上のために、男子と手をつないで1600m走らされたこともあった。男子がぐいぐい引っ張るので、タイムは上がるのだが、次の日にそれより速く、今度は自分一人で走らなければいけないので、これも一苦労であった。ただ、高1の時に、女子全員の憧れの的であった高3の男子と手をつないで走れたのはラッキーだった。その時ばかりは、鬼コーチの顔が天使のように見えたものだ。
別に運動好きでもなく、どちらかと言うと文化系の私が、高校でスポーツをやってみようと思ったのは、シーズン制だったことと、スポーツオンリーの生活を送らずにしてクラブ活動に参加できたからだと思う。色々なスポーツに挑戦する機会があれば、それだけ可能性も広がるし、楽しみも増える。日本の学校のクラブは拘束時間も長いし、練習もプロを目指すかのような激しさだ。学校の部活動は、教育の一環なのだから、例えば私のような人でも参加できるような活動であるべきなのではないかと思う。それに、例えば野球とバスケでは、動きも違うし、使う筋肉も違うから、色々できたほうが、成長期の身体にもいいんじゃないかな。そして、映画『ハイスクール・ミュージカル』じゃないけど、バスケのスター選手が、ミュージカルにも挑戦できてこそ(環境的にも時間的にも!)、文武両道(勉学とスポーツという意味ではなくて、学芸と武芸)の学校生活なのではないかと思う。
今日の祈り:モナコ(西ヨーロッパ)の母子のために
モナコの5歳未満児死亡率は1000人当たり4人(Wikiprogress 2009)
4日間あった、1年生仮入部の期間が終わり、5月から本入部だ。Deeの心は最初から決まっていたので、4日間ともバレー部へ。そして、Deeが勧誘(?)したおかげで、Deeの仲よしの子も数人入部を決めたので、楽しくなりそう。バレー部の先輩のお母さんから聞いた、「バレー部は朝練がない」というのも、私は嬉しかったりする。
私は、中学時代はコーラス部であった。なんせ、背が高いので、「えっ?コーラス部?」と今でもびっくりされるけど、小さい時から、歌って育ってきた私だから、自然な流れであった。本を読むことと、歌を歌うことは、私の人生には絶対に必要なものだった。中学の頃は、しょっちゅう家で、楽譜の代わりに本を置いて、読書をしつつ、自分でピアノ伴奏をしながら歌っていた。うちの学校のコーラス部は、激しく練習していたわけではないので、コンクールで入賞することも一度もなかったけど、みんなで合唱をする事は楽しかったなぁ。
さて、高校時代は何をしたか。バレーボール、バスケ、そして陸上。こんなに色々できたのは、アメリカの高校のクラブ活動がシーズン制だからだ。まず、秋の年度初めは、女子はバレーボールで男子はサッカー。冬は男女ともバスケで、春に陸上。私は、高1と高2の時は、バレーと陸上のみに参加したが、高3の時は、陸上のシーズンをベストコンディションで迎えるために、バスケもプレーした。
シーズン制では、日本の学校のように、高いレベルまで達することはないかもしれないが、色々なスポーツに取り組めるというメリットがある。そして、クラブ活動はあくまでも「課外活動」であり、「人生そのもの」ではない。もちろん、他校との試合や、トーナメントもあるので、強くなるために毎日練習するのは、日本のクラブと同じだけれど、それでも月~金の放課後1時間半くらい練習するだけ。土曜は、試合がなければ休みだったし、うちの学校はクリスチャンの学校だったので、日曜は完全に休みだった。それから、クラブが「課外活動」であるということは、それがメインではないということだから、メインの勉強ができていないと、課外活動には参加できない。
アメリカでは、GPA(Grade point average)という、特定の方式で算出された成績の値を使用している。オールAの場合はGPAが4.0で、そこからA⁻ B⁺と、細かく点数がつき、そこからGPAが算出される。うちの学校では、4週間ごとに、ある一定のGPA以上(2.6ぐらいだったような気がする)の成績の人の名前が貼り出された。そこに名前が載っていれば、クラブ活動ができるが、名前が載っていなければ、例えその人が、エースであっても、その先4週間はクラブ活動に参加できない。厳しい世界である。現に、アメリカの高校や大学のクラブ活動を題材にした映画では、成績ぎりぎりラインで、大事な試合に出られるかわからないというキャラクターが必ず1人はいる。
バレーは高3の時には、レギュラーだった。とは言っても、小さな学校だから、競争は激しくなかったけれど。私がつけていた背番号2番を、「来年はあなたがつけてね」と託した相手が、私の弟の妻である。あの時に、こんな展開になるとは、全く予想していなかった。
高3でバスケをした時は、面白かった。バスケ初心者の私は、当然のごとく試合ではベンチに座っている時間が長かったのだが、圧勝している時などには出してもらった。一度なんて、学校全員が観戦していたホームゲームの時に出場して、相手ゴール下から、ボールを奪取し、そのまま自陣までドリブルして、シュートを決めた。ド下手な私のシュートに、大歓声が上がり、監督はベンチで大笑い。私の短いバスケキャリアの栄光の瞬間である。
陸上では、メインは100m&300mのハードル。他には、試合で800mも何度か走ったし、2マイル(3200m)も一度だけ走ったことがある。あと、一度だけコーチに頼んで、試合で砲丸投げにも出たことがある。会場に行くと、身体が大きくて強そうな女子がたくさん集まっていた。うちの学校の砲丸投げの子が、結構強い子だったので、初めは私まで警戒されたのか、じろりとにらんでくる人もいた。でも、そんなことにはひるまず、「ねぇ、砲丸の持ち方とか、投げ方のコツとか教えて~」と周りの人に聞いていたら、色んな人が面白がって教えてくれて、私が投げた時には、声援を送ってくれた。みんなすごく遠くまで飛んでいたけど、私の投げた砲丸は、ほぼ足元に落ちたのは言うまでもない。それでも、「練習してれば、上手くなるよ!」と口々に励ましてくれた、他校の見知らぬ選手達。ブラボー、アメリカ!
陸上できつかったのは、練習の初めに全員走らされる1600mで、これはコーチがタイムを記録していて、前日よりタイムが1秒でも良くなっていなければ、もう一度1600m走らされるという非情な練習であった。それから、女子のタイム向上のために、男子と手をつないで1600m走らされたこともあった。男子がぐいぐい引っ張るので、タイムは上がるのだが、次の日にそれより速く、今度は自分一人で走らなければいけないので、これも一苦労であった。ただ、高1の時に、女子全員の憧れの的であった高3の男子と手をつないで走れたのはラッキーだった。その時ばかりは、鬼コーチの顔が天使のように見えたものだ。
別に運動好きでもなく、どちらかと言うと文化系の私が、高校でスポーツをやってみようと思ったのは、シーズン制だったことと、スポーツオンリーの生活を送らずにしてクラブ活動に参加できたからだと思う。色々なスポーツに挑戦する機会があれば、それだけ可能性も広がるし、楽しみも増える。日本の学校のクラブは拘束時間も長いし、練習もプロを目指すかのような激しさだ。学校の部活動は、教育の一環なのだから、例えば私のような人でも参加できるような活動であるべきなのではないかと思う。それに、例えば野球とバスケでは、動きも違うし、使う筋肉も違うから、色々できたほうが、成長期の身体にもいいんじゃないかな。そして、映画『ハイスクール・ミュージカル』じゃないけど、バスケのスター選手が、ミュージカルにも挑戦できてこそ(環境的にも時間的にも!)、文武両道(勉学とスポーツという意味ではなくて、学芸と武芸)の学校生活なのではないかと思う。
今日の祈り:モナコ(西ヨーロッパ)の母子のために
モナコの5歳未満児死亡率は1000人当たり4人(Wikiprogress 2009)
夫婦の食事
2012.04.27
晴れ 青空! 17度
今月に、おっさんのお弁当箱を買い替えた。今までは、少なめのご飯(保温)に、おかず一段がのっかっているお弁当箱だった。購入したのは、Mimiが幼稚園に入園した時だから、かれこれ8年も使ったことになる。小さめのお弁当箱にしたのは、単純に、食べる時間があまりないことと、お腹がいっぱいになると眠くなってしまうから。同僚の女性に「こんな少なくて大丈夫ですか?」と言われたこともあるくらい。(全く、余計なお世話なんだけどさ。)
新しいお弁当箱は、「男子のお弁当箱」で、ご飯もたっぷり入るし(保温)、おかずは2段だ。食べる時間は、相変わらずないけど、「食べる時間がない」から、「食べる時間を確保する」という風に、意識を変えようとしているみたい。おっさんも、おじさんになってきて、自分のケアもしっかりしないと、本当に疲れちゃうからね。それでも、やっぱり時間がなくて、2回に分けて食べたりしてるらしいけれど。
さて、新しくなったのは箱だけではなく、お弁当の中身もだ。これまでは、お子様メニューだったのが、Jojoもついに給食の恩恵に預かるようになったので、中身は一気に子どもから大人へシフトした。とは言っても、別に蕗やら、つくしやらが入ってるわけじゃない。参考に買った本だって、ずばりこれだ。
だけど、やっぱり違うのだ。例えば、小さく食べやすくしたり、子どもの苦手な食材を何とか食べれるように考えたり、ということをしなくていい。そのまま、自分とおっさんが好きなものを、好きなように作ればいいのだから。でも何が一番違うかって、それはおっさんのお弁当は、すなわち私のお昼ご飯なわけで、別々の場所で食べているんだけど、それは「夫婦2人のための食事」だということだ。家族で食べる食事は、もちろん楽しいし大好きだ。でも、このお弁当作りは、まるで新婚時代に、2~3日分のメニューを考えて、ノートに記録してから買い物に行っていた時のような、甘美な思いを私に抱かせるのだ。
今日のお弁当。

ごはん&いかなごの釘煮(今年はおっさん作)、ハムポテトサラダ、厚揚げを甘く炊いたん、生のアスパラ(私の母の畑から)をツナと梅肉で和えたもの、豚の味ポン生姜焼き(友達のブログを参考に)、ミニトマト。ちなみに、本日のアスパラは太さが普通の3~5倍。母の作るアスパラは味も食感もまるでリンゴのようだから、サラダにすると超美味。
おっさん、美味しく食べてるかな?
今日の祈り:モルドバ(東ヨーロッパ)の母子のために
モルドバの5歳未満児死亡率は1000人当たり17人(Wikiprogress 2009)
今月に、おっさんのお弁当箱を買い替えた。今までは、少なめのご飯(保温)に、おかず一段がのっかっているお弁当箱だった。購入したのは、Mimiが幼稚園に入園した時だから、かれこれ8年も使ったことになる。小さめのお弁当箱にしたのは、単純に、食べる時間があまりないことと、お腹がいっぱいになると眠くなってしまうから。同僚の女性に「こんな少なくて大丈夫ですか?」と言われたこともあるくらい。(全く、余計なお世話なんだけどさ。)
新しいお弁当箱は、「男子のお弁当箱」で、ご飯もたっぷり入るし(保温)、おかずは2段だ。食べる時間は、相変わらずないけど、「食べる時間がない」から、「食べる時間を確保する」という風に、意識を変えようとしているみたい。おっさんも、おじさんになってきて、自分のケアもしっかりしないと、本当に疲れちゃうからね。それでも、やっぱり時間がなくて、2回に分けて食べたりしてるらしいけれど。
さて、新しくなったのは箱だけではなく、お弁当の中身もだ。これまでは、お子様メニューだったのが、Jojoもついに給食の恩恵に預かるようになったので、中身は一気に子どもから大人へシフトした。とは言っても、別に蕗やら、つくしやらが入ってるわけじゃない。参考に買った本だって、ずばりこれだ。
![]() | 毎日おいしい!中高生のお弁当 (2006/01) 食のスタジオ 商品詳細を見る |
だけど、やっぱり違うのだ。例えば、小さく食べやすくしたり、子どもの苦手な食材を何とか食べれるように考えたり、ということをしなくていい。そのまま、自分とおっさんが好きなものを、好きなように作ればいいのだから。でも何が一番違うかって、それはおっさんのお弁当は、すなわち私のお昼ご飯なわけで、別々の場所で食べているんだけど、それは「夫婦2人のための食事」だということだ。家族で食べる食事は、もちろん楽しいし大好きだ。でも、このお弁当作りは、まるで新婚時代に、2~3日分のメニューを考えて、ノートに記録してから買い物に行っていた時のような、甘美な思いを私に抱かせるのだ。
今日のお弁当。

ごはん&いかなごの釘煮(今年はおっさん作)、ハムポテトサラダ、厚揚げを甘く炊いたん、生のアスパラ(私の母の畑から)をツナと梅肉で和えたもの、豚の味ポン生姜焼き(友達のブログを参考に)、ミニトマト。ちなみに、本日のアスパラは太さが普通の3~5倍。母の作るアスパラは味も食感もまるでリンゴのようだから、サラダにすると超美味。
おっさん、美味しく食べてるかな?
今日の祈り:モルドバ(東ヨーロッパ)の母子のために
モルドバの5歳未満児死亡率は1000人当たり17人(Wikiprogress 2009)
給食ナプキン
2012.04.24
晴れ 17度 花粉&黄砂・・・
Mimiが「中学3年目で、やっと私と家庭環境が似てる子を見つけた~」と喜んでいた。家庭環境が似ているって、どういうことかと聞いてみると、「例えば、お母さんが厳しいとか」と言う。はい、私は確かに厳しい。それは認めるが、「厳しい」ってのにも色々あるし~と突っ込んで話を聞いてみる。
そもそも、コトの発端は給食ナプキンにあったそうだ。ある女の子が、給食の時に、自分のナプキンがキャラクター柄だったので、「もうっ、なんでお母さん、こんなん入れるの」と怒っていた。それを見て、もう一人の子が「え?自分で用意しないの?私なんて小学校1年生の時からしてるよ」と言ったので、Mimiが「うちも同じ~」となったらしい。当の文句を言っていた子は、「自分でするなんて面倒くさい」と。
すごいな~お母さん。中学生の子どもの給食の用意もちゃんとしてあげるんだな~。最近、中学生の息子の着る服を毎日出しておくお母さんや、大学生の娘の服を、自分が選んで買ってきてあげるお母さんの話を聞いて、ただでさえ家事やらなんやらで忙しいのに、そこまでするなんて!とただただ驚いている。
そう言えば、Jojoが幼稚園の年中の時に、園に毎日持参するタオルを忘れたことで、お母さんに怒っている子どもがいた。そこで私が、「○○ちゃんのお母さんは、忘れっぽいからさ、今度から自分でタオルを入れることにしたほうがいいんじゃない。お母さんに任せてたら、また忘れるかもしれないしね」と、冗談めかして言ったら、お母さんは「ほんとだ~!」と賛同していたが、あの後、どうなっただろう。
我が家では、幼稚園のコップや、小学校で使うお箸セットを洗うのは、衛生上の理由で、低学年のうちまでは私がしていたが、幼稚園入園時から、ナプキンやタオルの用意は子どもがしている。でも、頑なに、絶対毎日子どもがすると言うのでもなくて、例えば先週の金曜日はJojoが疲れ切っていたので、彼女が宿題をしている間に「今日は、特別大サービスで、ママが給食の用意をしてあげよう」と、私がした。また、MimiやDeeが、私が洗い物をしている時に「洗ってちょうだい」と頼めば、ついでにお箸を洗う事もある。それから、小学生のうちは「給食の用意した?」という声かけはする。でも、宿題を私が代わりにやったりしないのと同じで、給食の用意も、自分のことだから、子どもが自分ですればいいと思っている。
子どものために着る服を用意することも、実はあまりしたことがない。そもそも、Mimiが2歳くらいから、自分で服を選びたがったので、そのまま今に至るといったところだ。Deeも、去年の今頃にシャカパンを卒業し、ジーンズだけしか履かなくなったのと同時に、服の好みが出始めた。それまでは、仕舞うのが面倒なのか、自分の部屋の隅に重ねてある服の一番上にある服を着ていたDeeだが、最近は鏡なんぞを見るようにもなった。前述のお母さんのように、服を出しといてあげようかと尋ねると、「自分の着るもんは、自分で選ぶわっ」と一蹴されてしまった。と、ここまで書いて、ふと気付いたのだが、私は畳んだ洗濯物を、それぞれ子どもの部屋までは持っていくけど、引き出しやクローゼットに仕舞うことまではしていない。もっと言うなら、おっさんの服もチェストの上に置いておくだけ。ぐ~たら母な上に、悪妻か!?
さて、一番下のJojoの服は、私が時々整理はするけれど、服を選んで出してくるのはJojoだ。たまに、私から見て変な格好をする時があるので、そういう時は「こっちの組み合わせの方が、かわいいと思うよ」とアドバイス(!)する。でも、Mimiが「これ変?」と聞いてくる時は、「自分がこれでいいと思ったら、それでいいやん」と、突き放したりもする。だって、「変」な格好の若者、いっぱいいるし、私から見れば、AKBの服だってめちゃ変やし。人の好みなんてそれぞれだから。
ちなみに、おっさんは、子どもの服は子ども自身が選ぶべきだと言っている。気候や、自分の好みを考えながら、コーディネートすることを学ぶべきだと思うらしい。それもそうだが、私は秘かに、おっさんの考えには、自分の子どもの頃の体験が影響していると思っている。2卵生双子のおっさんは、兄と顔も性格も全く違うのに、「双子」だから、義母が同じ服をよく着せていた。写真を見て、兄弟が違う服の日は、おそらくおっさんが自分で服を選んだ日で、同じ服の日は義母が選んだ日なのだろうと推測している。親が選ぶとロクな事はないという実体験である。
子どものために、色々してあげるのは、とっても大変だ。だから、早く自分で色々できるようになってほしいと、子どもにさせてきた。しかし、実は、自分で色々させるのも、できるようになるまでが、案外大変だったりする。正直に言えば、以前は「母親が全てする人は過保護&過干渉だ」と思っていた。でも、最近は、自分はそこまでしないし、したくないけど、色々させるのと同じように、細かくケアするのも愛情だと思うようになった。それぞれの家庭によって、様々な育て方があり、愛情の示し方がある。いずれにしても、一番大切なことは、子ども達が「愛されている確信」を持って、毎日過ごせることだと思っている。
今日の祈り:ミクロネシア(オセアニア)の母子のために
ミクロネシアの5歳未満児死亡率は1000人当たり38人(Wikiprogress 2009)
Mimiが「中学3年目で、やっと私と家庭環境が似てる子を見つけた~」と喜んでいた。家庭環境が似ているって、どういうことかと聞いてみると、「例えば、お母さんが厳しいとか」と言う。はい、私は確かに厳しい。それは認めるが、「厳しい」ってのにも色々あるし~と突っ込んで話を聞いてみる。
そもそも、コトの発端は給食ナプキンにあったそうだ。ある女の子が、給食の時に、自分のナプキンがキャラクター柄だったので、「もうっ、なんでお母さん、こんなん入れるの」と怒っていた。それを見て、もう一人の子が「え?自分で用意しないの?私なんて小学校1年生の時からしてるよ」と言ったので、Mimiが「うちも同じ~」となったらしい。当の文句を言っていた子は、「自分でするなんて面倒くさい」と。
すごいな~お母さん。中学生の子どもの給食の用意もちゃんとしてあげるんだな~。最近、中学生の息子の着る服を毎日出しておくお母さんや、大学生の娘の服を、自分が選んで買ってきてあげるお母さんの話を聞いて、ただでさえ家事やらなんやらで忙しいのに、そこまでするなんて!とただただ驚いている。
そう言えば、Jojoが幼稚園の年中の時に、園に毎日持参するタオルを忘れたことで、お母さんに怒っている子どもがいた。そこで私が、「○○ちゃんのお母さんは、忘れっぽいからさ、今度から自分でタオルを入れることにしたほうがいいんじゃない。お母さんに任せてたら、また忘れるかもしれないしね」と、冗談めかして言ったら、お母さんは「ほんとだ~!」と賛同していたが、あの後、どうなっただろう。
我が家では、幼稚園のコップや、小学校で使うお箸セットを洗うのは、衛生上の理由で、低学年のうちまでは私がしていたが、幼稚園入園時から、ナプキンやタオルの用意は子どもがしている。でも、頑なに、絶対毎日子どもがすると言うのでもなくて、例えば先週の金曜日はJojoが疲れ切っていたので、彼女が宿題をしている間に「今日は、特別大サービスで、ママが給食の用意をしてあげよう」と、私がした。また、MimiやDeeが、私が洗い物をしている時に「洗ってちょうだい」と頼めば、ついでにお箸を洗う事もある。それから、小学生のうちは「給食の用意した?」という声かけはする。でも、宿題を私が代わりにやったりしないのと同じで、給食の用意も、自分のことだから、子どもが自分ですればいいと思っている。
子どものために着る服を用意することも、実はあまりしたことがない。そもそも、Mimiが2歳くらいから、自分で服を選びたがったので、そのまま今に至るといったところだ。Deeも、去年の今頃にシャカパンを卒業し、ジーンズだけしか履かなくなったのと同時に、服の好みが出始めた。それまでは、仕舞うのが面倒なのか、自分の部屋の隅に重ねてある服の一番上にある服を着ていたDeeだが、最近は鏡なんぞを見るようにもなった。前述のお母さんのように、服を出しといてあげようかと尋ねると、「自分の着るもんは、自分で選ぶわっ」と一蹴されてしまった。と、ここまで書いて、ふと気付いたのだが、私は畳んだ洗濯物を、それぞれ子どもの部屋までは持っていくけど、引き出しやクローゼットに仕舞うことまではしていない。もっと言うなら、おっさんの服もチェストの上に置いておくだけ。ぐ~たら母な上に、悪妻か!?
さて、一番下のJojoの服は、私が時々整理はするけれど、服を選んで出してくるのはJojoだ。たまに、私から見て変な格好をする時があるので、そういう時は「こっちの組み合わせの方が、かわいいと思うよ」とアドバイス(!)する。でも、Mimiが「これ変?」と聞いてくる時は、「自分がこれでいいと思ったら、それでいいやん」と、突き放したりもする。だって、「変」な格好の若者、いっぱいいるし、私から見れば、AKBの服だってめちゃ変やし。人の好みなんてそれぞれだから。
ちなみに、おっさんは、子どもの服は子ども自身が選ぶべきだと言っている。気候や、自分の好みを考えながら、コーディネートすることを学ぶべきだと思うらしい。それもそうだが、私は秘かに、おっさんの考えには、自分の子どもの頃の体験が影響していると思っている。2卵生双子のおっさんは、兄と顔も性格も全く違うのに、「双子」だから、義母が同じ服をよく着せていた。写真を見て、兄弟が違う服の日は、おそらくおっさんが自分で服を選んだ日で、同じ服の日は義母が選んだ日なのだろうと推測している。親が選ぶとロクな事はないという実体験である。
子どものために、色々してあげるのは、とっても大変だ。だから、早く自分で色々できるようになってほしいと、子どもにさせてきた。しかし、実は、自分で色々させるのも、できるようになるまでが、案外大変だったりする。正直に言えば、以前は「母親が全てする人は過保護&過干渉だ」と思っていた。でも、最近は、自分はそこまでしないし、したくないけど、色々させるのと同じように、細かくケアするのも愛情だと思うようになった。それぞれの家庭によって、様々な育て方があり、愛情の示し方がある。いずれにしても、一番大切なことは、子ども達が「愛されている確信」を持って、毎日過ごせることだと思っている。
今日の祈り:ミクロネシア(オセアニア)の母子のために
ミクロネシアの5歳未満児死亡率は1000人当たり38人(Wikiprogress 2009)
5歳未満児死亡率
乳幼児死亡率とも言う。子どもの健康・福祉を考える上で重要な数字であると共に、その国の貧困状態を知ることもできる。日本の5歳未満児死亡率は1000人あたり3人。
Author:コヘレト子
and
おっさん
Mimi(中学女子)
Dee(中学男子)
Jojo(小学校低学年女子)





